広島原爆記念館からの思い出

 先週、G7の首脳が広島の原爆記念館を見学したというニュースがどの局でも放送されていました。
その原爆記念館と聞いて私の個人的な記憶や思い出を書きたいと思います。

 私は、18歳まで山口県岩国市に住んでいました。
 私から見て祖父は、「原爆が爆発した光は岩国市からでも見えた。」と小さい私に言っていたことを思い出します。

 原爆記念館は、何度か訪れています。家族旅行、小学生のバス旅行、中学生のバス旅行、大学生時代、就職してから何度も訪れています。

 小学生のバス旅行での思い出は、
 午前中に、原爆記念館を見学し、その後、平和公園でお弁当を食べるスケジュールでした。
思い出は、原爆記念館を見学した後は、気分が悪くなり、平和公園でお弁当を食べられなかったことです。
 当時の原爆記念館には、蝋人形で再現されていた人形があり、小学生の私にとっては衝撃的な出来事だったことを覚えています。
 小学校の授業では、折り鶴作り、千羽鶴を平和公園に送ると聞いて、一生懸命に折り鶴をおった記憶があります。

 中学生の時は、市の図書館に「はだしのゲン」のマンガが置いてあり、それを読んだ記憶があります。

 大学生時代は、大学は神奈川県にありましたが、仲良くなった友人を観光がてら原爆記念館や平和公園に行った記憶です。

 私自身がぼけて記憶がなくなる前に、原爆記念館の思い出を書きます。

 中学の修学旅行は、長崎での記念碑等を見た記憶です。

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